2021/08/03
いまなぜ「憲法とメディア」か
いまなぜ「憲法とメディア」か        2021年 8月3日

 「感染爆発」と言っていい、新型コロナのまん延状況の中で、東京オリンピックが開かれています。しかし一方でコロナの感染状況は、医療体制を崩壊の危機に陥れ、国民の命を危機に追いやり、国民の不安を拡大しています。
 感染の拡大で病床が逼迫している状況に、なんと政府は肺炎などの症状があっても「中等症」は入院させず、「自宅療養」を基本とする方針を決定しました。日本はとうとう、国民が重体になりかねない、命の危機だと考えても、病院での治療が受けられない、という国になってしまったのです。
 憲法は「人間の尊厳」をうたい、「健康で文化的な最低限度の生活」を保障し、国はそのために「全ての生活部面について社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と規定しています。ところが、ただ効率だけを考える壊憲政治は、コロナウイルスの感染拡大にも、これをサボり続け、この事態に至りました。
毎日、オリンピックのメダル数同様、新規感染者の数が発表されます。しかし、それがどういう意味を持つのか、科学的な説明はありません。一方、特効薬のように語られたワクチンは供給不足で、「危険」を語る情報も少なくありません。医療現場を強化する手立ても、治療薬の開発についても、十分な情報なく、国民のは不安は募るばかりです。

2011年の原発事故の際、日本学術会議の幹事会は「未曾有の災害に直面して国民が覚える不安感は、直面するリスクに関する正確な情報が、必ずしも的確に伝達されていないことに起因することが少なくありません。たとえ深刻な情報であっても―むしろ深刻な情報であればあるほど―正確に国民に伝えられるべきものです。そうであればこそ、事態の深刻さを冷静に踏まえた適切な行動を求める呼びかけは、人々を動かす力となるものだと思います」と声明し、「放射性物質の漏出問題はその適例」と指摘しました。新型コロナについての国民の不安も、実はそこに大きな要因があることを見誤ってはなりません。

  一方で、安倍―菅政治は、すべての場面で「憲法的視点」を欠き、メディアを、圧力と懐柔、そして恫喝で「操作、支配」してきました。いま、インターネットやSNSの発達は、国民へ情報伝達の環境を大きく変えました。その中でマスメディアは、一層「体制化」を強め、「何を伝えるべきか」についての問いかけは弱くなっています。
 憲法に則して、基本的人権の見地から、まず医療体制の整備を訴えなければいけなかったメディアは、結局「のれんに腕押し」の政府によって、その主張も蹂躙され、結果として事態を放置してしまいました。「秘密主義」が国民の不安を煽り、民主的な議論を失わせています。
 私たちはあらゆるメディアに、改めて憲法の原則を貫くジャーナリズムを求めます。すべての出来事を憲法に照らして考えること。それが、日本国憲法のジャーナリズムです。
あくまで真実と道理に基づき、発言を続けましょう。
          「憲法とメディア」同人一同
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