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2023/10/08
ジャニーズ性虐待問題
素知らぬ顔をしているわけにはいきません
 故ジャニー喜多川氏による性虐待問題。報道はまだまだ続くでしょう。
 創業から61年目、ジャニーズ事務所から看板がとり除かれましたね。「喜多川氏と完全に決別する」ため社名を変更し、被害者の補償終了後に廃業すると発表しました。
 一方、タレントのマネージメントや育成をする新会社の名は「SMIL-UP(スマイルアップ)」に変更するといいます。会社の代表取締役社長にはひきつづき東山紀之氏が就任するそうですが、今月2日の記者会見で東山氏は喜多川氏の性加害について「結論として、僕は見て見ぬふりをしていた」と語っており、そのような人物が新旧の社長を兼任することは、新会社の独立性を担保するうえでも問題があります。

▼ 「見て見ぬふり」は東山氏だけではありません。8日のTBS『サンデーモーニング』の「風をよむ」コーナーでは「(性虐待問題で)メディアも沈黙、同調圧力、一つのムラ社会をつくっていた」と。
▼ 日本共産党の小池書記局長は2日の記者会見で、ジャニーズ事務所をめぐる問題で「人権問題なので、国が素知らぬ顔をしていいことではない。政府として、きちんと問題解決するまで関与していくことが必要だ」と指摘。「発注したテレビ局をはじめとするマスメディアや企業も、被害者救済のためにきちんと責任をもつべきだと申し上げたい」と語っています。
▼ SMAPというグループをご存知でしょう。CDデビューしたのは1991年。彼らの歌の代表作といっていいのに『世界に一つだけの花』というのがあります。2003年の「紅白」の大トリで歌って話題になりました。
作詞・作曲は槇原敬之。
時まさにイラク戦争。「反戦の歌」と言われました。詞の一部を紹介しましょう。
♪ 花屋の店先に並んだ
いろんな花を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど
どれもみんなきれいだね
この中で誰が一番だなんて
争うこともないで
バケツの中 誇らしげに
しゃんと胸を張っている
(略)
小さい花や大きな花
一つとして同じものはないから
ナンバーワンにならなくていい
もともと特別なONLY ONE

▼この曲、見捨てられるのでしょうか。個人的な思いで ゴメン。
(仲)
2023/09/14
「魔女狩り」の教訓、
岸田政権はどう受け止めるのか

★ 仕事はしつつ、地域合唱団でいま「魔女はだれだ?」(2017年、木下そんき作詞作曲)を練習している。ガリレオ、ジャンヌダルク時代から現代まで、権力者が弱者・少数者・反対者を抹殺する「魔女狩り」を告発し、一面では笑い飛ばす、そんな曲といっていいだろう。練習しながら「いま」の〝魔女狩り〟を考える。

★ すぐ思い浮かぶのは維新・馬場代表の「立憲や共産党は日本からなくなっていい政党」発言だ。権力者に伴走する集団ならではだ。まあ私だって自民党の議席を減らしたいと切に思う。ある党が国会で議席ゼロになることはありうる。その私でも自民党が日本からなくなれとは思わないし、言わない。
馬場発言は、そもそも民主主義や憲法の原理への根本的無理解から来ているが、これにデマ・流言が加わり、集団化・暴徒化するとどうなるか。近世の日本での「魔女狩り」とも言えるもの一形態が関東大震災時の朝鮮人・中国人の殺害だろう。
震災と事件から100年。映画「福田村事件」(森達也監督)を見た。震災5日後の1923年9月6日、香川県から行商に来ていた15人中9人が千葉の福田村(今の野田市)で朝鮮人と決めつけられて殺された事態を描いている。

★ その後の日本は1931年からの15年間の侵略という戦争犯罪を痛苦の教訓の一つとして、日本国憲法を手にした。侵略戦争も歴史上の魔女狩りも完全に否定されている。「自由のもたらす恵沢」「政府の行為によってふたたび戦争の惨禍が起こることのないよう」「すべての基本的人権の享有」「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」「人種、信条、社会的身分…によって差別されない」「思想及び良心の自由はこれを侵してはならない」。

★ しかし現代の自民党政治は、憲法のこれらの原則を認めたがらない。たとえば「福田村」のあった千葉出身の松野官房長官(今回の改造でも再任)は8月末の記者会見で、100年前の朝鮮人殺害についてどういったか。「政府の調査では記録は見当たらない」
 これでは数千人と言われる朝鮮人犠牲者も福田村での犠牲者も浮かばれないではないか。(松野氏は野党時代の2011年、大震災時の朝鮮人犠牲者について「政府資料」も引きながら、民主党政権に質問している。政府の調査資料があることは百も承知なのだ)

★ 震災から100年。「外国人排除や虐殺があってはならない」「人種、階層、門地での差別は許さない」-各種犠牲者の声なき声を、そして憲法の訴えを、岸田政権はどう聞くのか。
(寺)
2023/08/28
ストレートに言おう 「麻生発言は違憲だ」
 8月は戦争と平和、それと憲法を考え、語る月かと思う。

★ 憲法に関連してこの8月、NHK「映像の世紀~マッカーサー」に注目した。
終戦以降45~47年を中心にGHQとマッカーサーの施策をたどった。天皇との会見で示したとされる五原則①女性参政権②労働組合承認③教育民主化④特攻など廃止⑤財閥解体-は詳しかった。
  
ただ不思議なことに「戦争放棄」の視点は弱かったように感じた。例えば46年2月の「戦争放棄」を軸とするマッカーサー3原則-は捨象された。また近年研究が進んでいる45年10月11日のマッカ―サー・幣原喜重郎首相会談(幣原が「新生日本は戦争放棄を」と提起した)には触れられなかった。

 もちろん46年、GHQが日本政府の新憲法案を「保守的」と突き返したという大筋の流れは抑えている。その後の双方のやり取りを経て同年に新憲法案が承認され、11月に公布された。

★ なぜこの番組が気になったかといえば、自民党の麻生副総裁が台湾を訪問して、中国・台湾の抗争、いわゆる「台湾有事」を想定して、日本も「戦う覚悟だ」と発言した(8日)あとだったからだ。
 中台戦争、さらに米中戦争になれば日本も「参戦」ということになる。しかも首相官邸や外務省と「入念に発言内容を調整」(毎日10日付)というではないか。

 しかしそもそも、だ。中台の紛争に日本が軍事介入するなど憲法のどこを押しても出てこない。
 2015年強行の「安保法制」も日本の対米協力「参戦に曲がりなりにも二重三重の「条件」を付けている。日本に必要なのは「戦う覚悟」ではなく憲法9条にもとづく「戦争を起こさせない覚悟」なのだ。
 (麻生発言大賛成の産経でもさすがに、阿古智子東大教授の「(麻生氏が)誰が、どのような覚悟を持つべきだと言っているのかがつかめない」という論を掲載している=8月22日付)

★ 8月、さまざまな論者がこの麻生発言を取り上げ批判した。
 8月25日の朝日夕刊「斜影の森から」(福島申二=元編集委員)の次の指摘が目を引いた。「『戦う覚悟』」を唱えたりしているのは、何かがあっても武器をとる立場の人ではない」。洞察の効いた批判だ。
 最後に、日中友好新聞9月1日を引きたい。「法的にも『1つの中国』の下での『中台衝突』は『内戦』」。見出しにこうある。麻生発言は「戦争前提の意見発言」。

 そうだストレートに言おう。麻生発言はそもそも「違憲」なのだ。         
(寺)
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